作業者各位は即座にメインビルディング A-1フロアに集合し、
迅速なログアウト操作をお願いいたします
繰り返します、第2層 6区は……
『……』
『……………』
為すべきこともなくなり、すでに自分以外の者も立ち去った、第2層、6区の中心。
いまや空となった鉄条網の吊り牢獄。
そのワイヤーが、誰が行うでもなく、ばつん、ばつん、と切り離される。
『……… 一発入れていい、と云ったのになあ』
切り離された鉄条網が、解れ、撚りあいながら、目の前で容を変える。
『……それは無理な話? ずるい、って?
それもそうだ
この檻自体がわたしのアバター体の成れ果てだとは、気付きようもないだろうし
わたしも、君たちを傷つけるのは本意ではないよ』
そして、ひとりの、男の姿へと。
前回と違うのは、頭が下で、足が上。この電脳領域の上下反転の光景に適応しているということだ。
男の足が宙を踏む。水面をさかしまに進む小貝のように。
「アバター体である以上、その形状に制限はない。
わたしの再構築は、「あの子」を制止するために取った咄嗟の手段だったが、
あまりに急激にに元の姿とかけ離れたせいで、制御が効かず、命綱まで取り落としてしまってね。
存続のために、「あの子」を通して電脳領域に自分を紐づける羽目になってしまった。
待合室で君に出会ったわたしは、いわばここから物質世界に介入するためのアバターだ。
あれも流石に無茶をし過ぎて、跡形なく崩壊してしまったが」
さかしまの男の顔が、点対称の視線が、こちらの顔を覗き込み。
訊ねる。
「……君は、「あの子」の最期に何を思ったかな。
いや、わたしに語る必要はないよ。君の思いは、君の心に留めて置いてくれればいい。
たった数日、表面ばかりの言葉を交わしただけの、意味のない空っぽの存在。
ちょっと預かっていた機材がなにもしないのに壊れた。
それだけのことだっていい。
だが、覚えていておいて欲しい。
事の始まり。我々の行ってしまった非道。
それでも「あの子」は、君たちの事を、誰一人例外なく、愛していたよ。
愛していたとも。懸命に、仮初の言葉を紡いで。」
―― 再度、召集のアナウンスが周囲に響き始める。
《…作業者各位は、即座にログアウトを行ってください!!》
先程までよりも強い口調の女性の声だ。随分と前にも聞いたような気がする。
「………長々と話してしまって、すまなかったね。
早く皆と合流したほうがいい。
それとも………君も、なりたいかい、こちらの住人に?」
元はといえば、引き留められたのはこちらの方だというのに。
しかし反論の余地なく、男が背を押す。
「これが本当のさよならだ。わたしにはもう何の関与も助力もできない。
あちらで上手く立ち回って、できうる限り、社にダメージを与えてくれ給(雑音)よ」
アバターと身体を繋ぐ命綱が強引に引かれるのを感じ、声は急速に遠ざかる。
これがきっと、最後に見る電脳領域の光景。
次に目を開けた時には、きっと、フルダイブ装置のコフィンの天井だ。
「《カイロウドウケツ》。
懐かしい、しかし人に詮索されるには、何とも面映ゆい記録だ。
……君が最期まで手放さなかった記憶が
君を捕らえ、解体に取り掛かる前に、わたしが聞かせたその話だったとは、ね」
「doce。」
(雑音) (雑音)
(…雑音)
否、これは雑音ではない。
人の可聴域を超えた、100,000Hzの響き。それは。
「……電脳領域の存在の、全世界への公開。
そこに生きる我らが隣人との、和解と共生を進めるための団体の設立。
後の事はみな、わたしの後継に託してある。わたしが戻る必要は、もうない。」
《だが、実現に至るには、まだまだ世界、我々、双方に時間が必要だ。
その時が来るまで、君の存在は失われたことにする。》
「そうだ。わたしの提案をよく引き受けてくれたね。
君が主演俳優賞になる日だって、夢ではないかもしれないよ。
さあ、もう一仕事だ。落下者の引き上げを急がないといけない」
《私はオスカーではありませんよ、"administrator"?》
《私の名前は [doce] です。よろしくおねがいします、"administrator"。》
(……雑音) (雑音)